生涯プレイヤーであり続けたいと思っていた時、先生からの一言で地元 新潟へ戻る決意をした由藤さん。新潟の地で様々な試行錯誤を経てお店のブランド力を上げ、4店舗を展開するサロンへと成長。新潟から日本の美容を盛り上げ、新たなトレンドを発信し続けています。国内外に多くのファンを持つ由藤さんの揺るぎない信念と、デザインへの強いこだわり、理美容業界への熱い想いをお聞きしました。(2022年3月19日取材)
ライター 森永 泰恵 | カメラ 山﨑 美津留 | 配信日 2020.5.28
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17歳の時に“理美容はファッション”だと感じ、決意
理美容師になろうと思ったきっかけを教えてください。
僕は子どもの頃からオリジナリティにあふれているタイプで、みんなと違うことをやりたい子どもだったので、学校ではあまり評価されず(笑)、将来はデスクワークをしたり大きな組織の一員として働くのは自分には合っていないと感じていました。実家の理容室には徒弟制度があり、両親が住み込みのスタッフに仕事を教え、社会人として育てている姿を近くで見ていたこともあり、小学校を卒業する頃にはこの仕事に就きたいと思っていました。当時は画一的なライフスタイルの時代だったのでファッション性は感じていなかったのですが、17歳の時に父に連れられてPEEK-A-BOOの川島先生のステージを見に行った時、ヘアがファッションやアートと融合してすごいムーブメントを起こしていると感じました。そこから“理美容はファッション”という意識が芽生え、理美容師になる決意を新たにしました。
人の3倍、4倍、圧倒的な練習を続けた毎日
どんな学生、新人でしたか?
高校卒業後は父の勧めでHONDA PREMIER HAIR INTERNATIONALに入りました。昼間は理美容学校に行き、帰ったらサロンの手伝いをする日々がスタート。寮生活で6畳部屋に男子4人。さすがの僕でもここでは自己主張はできず、規則正しい生活をしていました。規律や上下関係が厳しく、それまでとは全く違う生活でしたが、当時は携帯電話もなかったので他人と比べる情報がなく、みんなこうなのかな、やるべきことをやろう、こういう大変さを乗り越えていった人だけが成功するに違いない、そう思っていたので、これが普通のことだと捉えていました。学校では学科が苦手だったので学科の時間はあまりいい生徒ではありませんでしたが(笑)、技術の時間になると急にやる気を出すという感じでしたね。とにかくうまくなりたい、カッコいいヘアスタイルを生み出す人になりたい一心で、人の何倍も練習をし、コンテストで優勝したこともありました。学生時代の僕のあだ名は「先生」だったんですよ(笑)。就職してからもレッスンに次ぐレッスンで、深夜12時を回ることもしばしば。大会前になると睡眠時間が2~3時間ということもありました。でも僕は、人の3倍、4倍、圧倒的な練習をしないと人より抜きん出ないと思っていたので、必死にコツコツ練習をする毎日を送っていました。寮に帰ってからもずっとコソ練(コソコソ一人で練習)していましたね。
師匠の“完コピ”を目指し、多くを学んだ
スタッフ時代に一番努力したことは?
僕は目の前にいる本田先生という素晴らしい方の話し方、表情、姿勢、カットの仕方…とにかく全部真似て完コピする事で考え方や在り方を吸収してました。直接アドバイスをいただいたこともたくさんあります。なぜか僕は他のスタッフよりもいい意味で“マーク”されていたようで、休みの日にも電話がかかってきて「今日は練習した?」と聞かれたり、1人暮らしをしようと思って相談したら「お前には必要ない、チャンピオンを目指すのに1人暮らしの生活は無駄だ」と。僕は頭にきて、それなら最後まで居座ってやろうと思い、意地になって独立するまで寮にいました(笑)。車を買いたいと言ったら「お前には必要ない」とまた言われて…。尊敬し大好きな本田先生から、自由度の高いことをやろうとするとダメだと言われるんですよね。26歳の頃には店長になり、コンテストで好成績を収めたことも多数、売上もNo.1になっていた時期でさえ、再度、車を買いたいと言ったら「いや、必要ない」と。「どうしても買うなら、みんなが憧れるくらいのいい車を買いなさい」と言われ、思いがけず高い車を買う羽目に…(笑)。本田先生は常に「カッコよく生きろ」と僕に教えてくれていたんです。ある時、「お前に50万円を渡す。どう使ってもいいけれど、サロンが良くなる使い方をしてほしい」と言われ、僕は驚き、悩みました。3年間悩み続け、結局使えなくてお返ししたのですが、本田先生はお金の大小に関わらずどう生きたお金にするかを考えなさい、ということを僕に伝えたかったんだと思います。とてもいい勉強をさせていただきました。
「新潟を盛り上げろ」師匠の言葉を胸に独立
独立のきっかけは何ですか?
僕はプレイヤーであることと教育をしていくこと、この2つを理美容人生のメインに考えていたので、サロンを経営するという意識はまったくなかったんです。子どもの頃から帳簿をつけている父や母の姿を見て、お金の計算は絶対にやりたくないと思い続けていたので、独立するつもりはありませんでした。しかし、10年が過ぎた頃に本田先生が「地元に帰れ」と。「そもそもお前は新潟を良くするためにうちで勉強してきたんだから、そろそろ戻って新潟を盛り上げろ」と。それで戻ることにしました。まずは実家のサロンに入り、父が経理を全部やってくれる中で最初はプレイヤーとしてスタート。その後父からお店を受け継ぎ、少しずつ自分の思い描く方向へと変えていき、次第に現在の形が整っていきました。
いいものをつくっていれば、必ずお客様は来ると信じていた
集客などサロンを軌道に乗せるための工夫は?
僕のお客様は当然ゼロでしたから、最初は大変でした。今のようにSNSやポータルサイトが無い時代だったので、「プリントごっこ」を使ってポストカードのような宣伝用のチラシを手作りしていました。1000枚プリントして駅前で配ったのですが、それを見て来店した人は3人くらい。効率が悪いと思い、もっと効率が良くて説得力のある方法はないかと模索した結果、キャバクラに行って営業活動をすることに。一番きれいな子を見つけて「もったいない。顔は可愛いのに髪がダメだね。こうしたらもっと可愛くなるよ」とプレゼンをしてサロンに来てもらい、その子がもっときれいになると周りの子も来始める…そんな地道な営業もやっていました。必死でしたね。最初は本当にお客様が来なかったです。でも、いいものをつくっていれば必ずお客様が来ると信じていました。いいものとは何だろうと常に考え、うちの強みであるカットを極めて1人ひとりのお客様にどう応えていくかを徹底して追求した結果、徐々に実を結び、新潟に戻って4年めくらいでようやく軌道に乗り始めました。
お客様の変化に合わせて出店&リブランディング
現在4店舗を展開中ですが、出店の狙いは?
当初は若い女性をターゲットにブランドを確立し、華やかなモテ系のスタイルを打ち出していたのですが、お客様が結婚したり仕事でキャリアを重ねたりしていくうち、打ち出すスタイルも変えていくべきだと思ったんです。それで、モテ系とは違う、同性から好かれるカッコいいヘアを提案するために「CAOS」を立ち上げました。また、郊外にトータルビューティサロン「SNIPS LOHAS」を、20代のトレンドに敏感な女性をターゲットにした「SNIPS DOES」を出店。本店も「SNIPS」から「SNIPS LIFE DESIGN」に店名を変え、お客様の成長とともにライフスタイルに寄りそうブランドへと進化させ、7年前にリニューアルしました。「SNIPS LIFE DESIGN」は3階建ての物件を1棟まるごと使っているのですが、こんな大きい場所でサロンを運営できたら新潟の美容がもっと元気になるのではと思い、思い切って借りました。地方だからこそできることですよね。こういうことにチャレンジできるのは、今まで通ってくれたお客様のおかげです。
カットデザインが売り。お客様の人生に寄り添いたい
SNIPS全体のブランディングについて教えてください。
うちの売りは一貫してカットデザインですから、カットで勝負するということがブランディングの核になっています。そのためにはある意味、お客様を教育するような話をすることもあります。たとえば半年ぶりに来店した方には「毛先にゴミついてるよ」なんて言うことも。きれいなスタイルは1カ月半~2カ月くらいしか持ちませんから、その後の4カ月間はゴミをぶら下げているのと一緒ですよ、と。根元が1cm伸びると気になり、3cm伸びると慣れて、5cm伸びると諦めの気持ちになる、そうならないようにきれいになろうと意識することが大事なのだということをよくお話します。もちろんお客様との信頼関係があってこその会話ですが、年齢を重ねれば重ねるほどメンテナンスが大事だということをわかってほしい、そのためのお手伝いをSNIPSでやらせていただきたいんです。それが「LIFE DESIGN」と改名した時の「お客様の人生に寄り添う」という思いであり、SNIPSのブランディングの軸になっています。
僕がウィッグカットしている姿を見て感じてほしい
スタッフ教育で心がけていることは?
ベーシックはスタッフがやってくれています。僕は今でもウィッグを切ってカットを追求しているのですが、もっともっとデザイン力をつけないといけないと感じています。スタイリストになったらもう勉強したくないという人は、美容師に向いていないのかもしれません。美容が大好きで、髪を切りたくて仕方がないという人じゃないと、お客様に失礼だと思うんです。僕は死ぬほどカットが好きです。だからウィッグをずっと切り続けているのですが、僕のそういう姿に触発されて、カットにこだわる人が増えたらいいなと思っています。デザイン力がうちの強みですから、今でもデザインの勉強は常にしていますし、基本的に毎日サロンワークもしています。経営者として数字を見て考えることももちろん大事ですが、あたかも工場長のように、日々、サロンで生み出されるヘアデザインという製品を見てチェックしています。
その人をもっとも輝かせる、美しいスタイルをプロが提案
スタイル提案の秘訣は何ですか?
ベーシックな技術を極め、美しいスタイルを提案することが大事です。「お客様が喜んでいるから、これでいい」というのはダメだと思います。お客様の言う通りにするのではなく、お客様の間違った思い込みを取り払い、どうしたらその人をもっとも輝かせることができるかを考え、提案できなければいけません。予約をいただいたら、お客様が来店するまでの間にどんな提案をするか考えておかなければいけないのに、来店した途端「今日はどうします?」と聞くのはNGです。予約はお客様のために準備をするシステム。それがプロの仕事です。一番いい美容室は、ノンオーダーで座ったらきれいに、今っぽく、自分らしくなれる美容室。それが理想です。とはいえ若いスタッフからベテランのスタッフまで色々いますから、中にはお客様に寄り添う形もありつつ、どちらもバランスよくいるというのがいいのではないかと考えています。
まだ誰も知らないものをつくってほしい
作品撮りはどんな形でやっていますか?
毎週1回、各店舗から1人ずつ本店に来て、営業中に作品撮りをしています。撮影は僕がします。子どもの頃からカメラが好きで、独学で色々学びました。スタッフの今のカットやニュアンスをチェックするいい機会でもあります。撮った写真はホームページやSNSにアップして、スタッフが美しいと思っている作品や景色をお客様に感じてもらえるようにしています。テーマは決めず、そのモデルさんを素敵にするというのが課題。今流行っているものをつくって世の中に寄せていくのではなく、まだ誰も知らないものをつくってほしいと思っています。まずはモデルさんを探すところからスタート。自分の足で探してゼロからそのモデルさんと関係性を構築していくということこそが大事なのです。
新潟で生まれたカットが世界に伝わる喜びを知る
“THINK GLOBALLY、ACT LOCALLY”について教えてください。
この言葉は、世界規模で物事を考えて地域に役立てていく、という意味です。反対に地域で生まれたものが世界で役立つこともあります。僕が世界で見てきたカッコいいデザインやライフスタイルなどを新潟にフィードバックしたり、逆に新潟で生まれた考え方や技術が世界で役立ったり。たとえば新潟のお客様に喜んでもらえることをやってきたら、それは世界の人も喜ぶようなことだった、というような現象が実際に起きています。新潟は大きな川があって風が強いので、風が吹く中で髪を揺らしながら切ってみたら、まとめやすくてかきあげた時に美しい、どう風が吹いても乱れてもカッコよく見えるスタイルになりました。そういうことを海外に教えに行ったりしています。ユニバーサルデザインや、骨格や髪質の条件の悪い人のために生み出された技術を一般の人でやってみたら、すごく簡単にスタイリングできたりとか、そんな事も当てはまりますよね。そういう行ったり来たりの関係性が素敵だなと思います。
ローカルで美容師をやる良さを理美容師の卵に伝えたい
「ローカルサミット」はどんな活動ですか?
東京で美容師をやることだけがフィーチャーされがちですが、ローカルは自然が近くにあり、タイムレスで、ローコストで、ライフスタイルがとても充実しているので、そういう環境の中で美容師を続けていくことは素晴らしいことだと思っています。たとえば子育て中の美容師さんでも、近くに親が住んでいればサポートを受けやすく、美容の仕事を続けやすくなります。そんな思いを共有できそうなサロンが他にもたくさんあるので、時々集まってお互いのいいことを発表し合おうと立ち上げたのが「ローカルサミット」です。東京に出るといいことばかりという概念だけが表面化していますが、逆に田舎に残ったほうがクールでカッコよくて充実しているよと。そういう話はなかなか情報として出てこないので、僕たちが情報発信していこうと活動しています。高知県や愛知県などのサロンさんと一緒にサミットを開いたり、美容学校に出向いて地域の若い理美容師の卵たちにローカルの良さを伝えたりしています。
経営者というよりプレイヤーとして挑戦したい
今後の目標は何ですか?
独立して10年くらいはトップギアで引っ張ってきて、次の10年はスタッフのペースに合わせてやってきました。50歳を超えた今、ここでもう1回、技術者としてどこまで素晴らしくなれるかに、これからの10年をかけたいと考えています。本田先生から言われた「新潟を盛り上げろ」という命題はある程度形になったと思うので、経営者よりもプレイヤーに、SNIPS由藤秀樹というより由藤秀樹個人に戻っていく感じです。みんなのペースに合わせるのではなく、言いたいことを言い、やりたいことをやろうと。駆け出しの頃、人の3倍、4倍練習していた時と同じように、“1日に3日分のことをやる”くらいの気持ちで充実した生活を送りたいと思っています。
人の心を打つ理美容師が増えれば魅力的な産業に進化に
由藤さんが思い描く、理想の理美容業界のカタチとは?
今は、こういうヘアスタイルを生み出したいというより、どういうヘアスタイルが売れるかという“売上至上主義”の時代。そうではなく、もっとスタイルに力があるものを生み出していくべきだと思っています。デザインをコピーする時代は終わりました。パターン化されたデザインの繰り返しやヘアスタイルの量産はやめ、本当に人の心を打つような、すごく狭い所を射抜けるくらい難しいことができる美容師がもっと増えたら、とても魅力的な産業になるのではないでしょうか。薄利多売で同じようなヘアスタイルをつくることが世の中に蔓延しつつある今、そうではない、本当に力のあるスタイリスト集団をつくっていけたら、SNIPSのブランド価値ももっと上がると思います。その人の良さをグッと前に出せるような力が大切で、そういう意識が高いサロンづくりがもっと必要だと感じています。この人のためにこういう風にやりたいんです、という、いわば執念のようなものを美容師は持つべきです。スタッフにもそれを繰り返し言い続け、練習を怠らないことが本当に大事だと思っています。
寝ても覚めても美容のことを考えてほしい
若い人へのメッセージ
理美容師という仕事は自分の好きなことを貫ける仕事なので、24時間切り続けてもいいと思うくらい、寝ても覚めても美容のことだけを考えてほしいと思います。ミュージシャンやアスリートと同じように、1年中美容のことを考えている、まさにアーティストであるべきです。もっと自分を追い込んで美容にのめり込み、うまくなるためにどんなことをするべきなのか、自分の課題は何なのかを常に考えてほしいですね。最近は、なんとなく生活ができて、このくらいできればいいかなという感じで小さくまとまっていて、現実的すぎる人が多いように思います。もっとクレイジーな面があってもいいと思いますし、好きなことをやって生きていくということは、人生を美容に捧げる覚悟があってのことなんだということ忘れないでほしいと思います。
由藤 秀樹(ヨシフジ ヒデキ)
SNIPS代表。
神奈川県内のサロンを経て1998年、新潟市にSNIPSをオープン。国内・海外でのセミナー活動も多く、アジア各国の理美容業界の教育と発展に尽力、多くの美容師から支持を得ている。
SNIPS
コンセプトの異なる4店舗を展開。2013年には本店を「SNIPS LIFE DESIGN」へとリブランディング。デザイン力でその人の生活や環境、ひいては人生を豊かにすることをテーマとしている。
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