小野浩一さん(DaB)

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2011.8.4

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漠然と会社員になることに疑問を感じて美容師に

私は一般的な家庭で育ち、高校卒業後は大学進学を目指して浪人生活を送っていました。ところが、将来に漠然とサラリーマンになることになぜか疑問を感じたんです。その時ちょうど、実家の両隣が美容室を経営していて、どちらも親しくしていた関係で興味を持ち美容師になろうと思ったのがこの世界に入ったきっかけです。当時は、美容師は女性の仕事と考えられていましたが、やりたいことであれば、と両親も賛成してくれ、方向転換を決め、美容師を目指しました。ただ、今のように美容師はカッコいい職業という時代ではなかったので、夢を持って入ったというよりは軽い気持ちでこの道を選んだというのが実際ですね。美容学校に入学してからは、黙々とワインディングやセッティングの授業を受けていた記憶があります。当時はインターン制度のある時代でしたが、今のようにインターネットも無ければ美容師用の求人雑誌がある訳でもありません。その時、どうせやるならしっかり学べるサロンに入りたいと思い、就職指導の先生に「厳しくて頑張っているサロンはどこですか」と聞いてSHIMAを紹介していただきました。

DaB

いつ切られるか分からないという危機感が芽生える

私が美容に対して本腰を入れ始めたのは、SHIMAに入社して2年目の頃です。私が配属されたのは吉祥寺の支店で、今ではとても有名になられている先輩がたくさんいました。また、浪人していた関係で、同い年の人が1年先輩として輝いて仕事をしていたんです。そこで、いろんな話を聞かされたり厳しく鍛えられながら、徐々に職業意識が養われていくことを実感しました。まだまだ半人前の身としては、ただ自分が楽しんでやるのではなく、一生懸命に頑張らないと組織の中で成功者として認めてもらえない。そんな感覚を徹底して教わり、同時に頑張らないといつ不要とされるか分からないという危機感も持ち始めました。初代店長の高橋マサトモさん(現MINX)と2代目店長の鈴木三枝子さんには特に厳しく指導されました。3代目店長の小松 敦さん(現HEAVENS)の頃には別の支店に配属され、5年目で店長を任されるまでになりました。今思えば、そんな厳しい環境の中に刺激的な同年代の人や今でも第一線で活躍している先輩たちがいたことが、私にとって大きな分岐点でしたね。

小野浩一さん(DaB)

雲の上の存在である八木岡さんを激怒させた新人時代

そんな私に目をかけてくれたのが、全店の統括ディレクターを務めていた八木岡です。実は入社して初めて話をしてくれた時に、私が生意気なことを言ったようで八木岡を怒らせたことがありました。鈴木三枝子さんからは、「八木岡さんが、あなたをクビにすると言ってるけど何をしたの!」と問い詰められたりして(汗)。今思えば、八木岡は組織の中でいかにして自分を高めていくかその重要性を話してくれたんだと思います。それを理解できたのは、ヤル気モードに入ってから数年後でしたね。組織の中にいる人間として、技術、デザイン、接客、後輩の指導方法などを覚えていくことが大切で、それ以外にもヘアショーやセミナーの仕事も覚えていかなければなりません。さらには、組織の中で生き残っていくことも重要なことです。それを理解できるようになってからは、実践するために毎日葛藤しながら仕事をしていました。

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次のステップを図るため自立を考えることも必要

私は、美容師というのは一定のスパンで変化が必要な職業だと思っています。例えば、美容学校を卒業してサロンに入社し、そこで鍛えられながら技術を学び接客します。技術者になるまでに平均で5年間を有し、技術者となり結果が出るまでに更に5年間位の期間を必要とする。その後は店長等として後進の教育にも結果を求められます。そして、次のステップを図るためにどこかのタイミングで自立するという選択肢が出てきます。今では経営者の理解力が深まっているし、サロンの形態やさまざまな方向性がありますが、私たちの時代はほとんどが郷里に戻って出店していました。中央での出店が増えてきたのはここ数年の話です。私の場合は東京が出身地なので、さらに選択肢が限定されます。私も次のステップを考えるようになり、将来永くこの仕事をする為に、自立することを考え始めるようになりました。

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理想的なカッコいい美容師像は持っていなかった

私はSHIMA時代に、目標とする理想の美容師像というものを持ったことはありませんでした。250人いる組織の中で、表現豊かなデザイナーがたくさんおり、私は一定のポジションまで到達する自信はありましたが、カリスマと呼ばれるような人気のあるカッコいい美容師になりたいという気持ちはなかったです。むしろ、スタッフ教育のカリキュラムや運営システムの確立といったマネージメント的な仕事に自分の存在価値を感じ始めました。店長になってからさらにマネージメントの仕事が増えましたから、多分会社もそれを見い出していたんでしょうね。嶋先生と、全店に関するシステムの提案などをよくお話させていただきました。私はいられる限りSHIMAに勤めるつもりではいましたが、当時は30歳を越えたら独立するような雰囲気あり、独立したたくさんの先輩達も活躍していましたので、私も退職を決意しました。

小野浩一さん(DaB)

会社設立のノウハウを知らず苦労したサロンの出店

退職してしばらくは海外で暮らしていましたが、帰国を機に八木岡と話をして、一緒にサロンを立ち上げることにしました。それが現在のDaBです。当時は美容師しか経験していなかったので、どうやって会社を立ち上げればいいのか全く何も知らない状態でした。ちょうど高校時代の友人が税理士をしていたので、いろいろとアドバイスをしてもらいました。基本用語も分からない私に、彼はまず関係書籍を読むようにすすめました。私はそんな本があることすら知らなかったんですよ(笑)。そこで、株式会社を設立するには3人の役員と1000万円の資本金が必要(当時)だと知ったんです。また資本金とは、株を売却し出資を募って集める資金だということも、その時初めて知りました。当時は資金がなかったので、内装工事も自分たちで手作業で行いました。おかげで、準備をするうちにどんどん筋肉がつき、オープンする頃には、どこから見ても美容師ではなく力仕事の職人さんのようになっていました (笑)。無事代官山にサロンをオープンして、しばらくは技術者としてサロンワークを務めましたが、1年後にはマネージメントに専念するようになりました。

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カラーブームを予測しサロンのシステム化を図る

私がマネージメントに専任するようになったのは、ソフトパンクといった若者のストリート文化が注目を集め、そこからカラフルなカラーリングが話題になったのがきっかけです。それまでのカラーは髪を明るくする程度でしたが、ブリーチで脱色してブルーやピンクやグリーンといった派手なカラーを楽しむ人が増えました。そんな現象を見た時に、必ずサロンでのカラー需要が増えるだろうと予測したんです。そうなると、サロンの規模も大きくなるだろうし、きちんとしたシステムを確立しなければいけないと感じました。それが、組織としてのあり方だと思ったからです。それ以降、デザイン的な部分はクリエイティビティーな表現力で抜群に優れている八木岡と山田千恵の二人に任せて、私は経営面を管理しようと考えました。同時に、他のサロンとは違うオリジナリティを出して、デザイナー集団を目指そうというビジョンがはっきり見えたのもこの頃です。代官山に出店したのも、カッコいいお客さまが集うこの街で、ニーズのあるカッコいいデザイナーになろうと思ったのが理由でした。

DaB

人間の厚みを出すために必要なセミナーを開く

現在、私のメインの仕事は経理関係です。美容室における経理は、収入と支出を計算するだけのシンプルな作業です。経営的には微増でもプラス収支で、それを継続できればいいと思っていました。ところが、サロンポスというレジ兼顧客管理やデータ分析ができるシステムを導入して以降、考え方が変わりました。サロンポスは個人の売上げなど細かいデータを確認することができます。それによって過去と現在の自分を比較することで、スタッフのモチベーションが変わりました。彼らがこんなにも数字に敏感だったこと、さらには自ら率先して確認することに驚き、それ以降は私がスタッフのデータを管理して、集客や売上げにつなげるようにしました。スタッフ教育に関して、技術やデザインに関することは現場のリーダーたちが指導しています。私は、会社のシステムや一般社会のしくみなど、社会人として学ぶべきことや人間の厚みを出すために必要なことを教えています。そんなセミナーを希望するスタッフを対象に2ヶ月に1回のペースで開いたりもしています。

小野浩一さん(DaB)

大きな世界観を持って将来の夢を叶えてほしい

DaB の今後に関して私が常々思っているのは、才能のある人たちと出会わなければ会社の幅は広がらないということです。私たちはモノではなく人ありきの職業です。だから、次世代を担える人たちとどれだけ出会えるかで会社の将来が変わります。私も八木岡も、大きな会社ではなく中身の濃い組織を作ろうと考えています。表舞台で輝く人がいれば、私のようにバックヤードで支える人間もいます。だから、すべての人に幸福感を与えられることが大切です。私が幸福を感じるのはスタッフの成長が見れた時。特に、アシスタントが努力して努力して技術者としてデビューをした時は、本当にHAPPYな気持ちになります。私にとって、彼らの成長を見守ることが喜びなんです。最後に、将来に出店を希望している人に言いたいのは、たくさんの本を読んだり大勢の人と出会って知識を養ってほしいということです。同じ人とばかり接していると世界観が非常に小さくなるので、いろんな角度から見聞を広めて自分の視野を大きく持つことが大切だと思います。私自身も、会社の人間だけでなく他業種の人たちと接する機会を持つように努力しています。

DaB
小野浩一さん(DaB)

小野浩一(オノコウイチ)

株式会社ダブ取締役、株式会社ビタミンズ取締役。東京都出身。高山美容専門学校卒業。1984年にSHIMAへ入社。店長および技術教育の責任者を歴任。1995年に代表である八木岡 聡氏と共に株式会社ビタミンズを設立。同年10月にDaB office及びDaB daikanyama hair salon(代官山)を開設。1997年にDaB MIX hair salon(代官山)を開設。1999年にDaB omotesando hair salon(表参道)を開設。2003年に株式会社DaBを設立し、サロンマネージメントをビタミンズより移管。2011年9月にDaB MIXを拡張リニューアルオープン予定。現在、代官山及び表参道に3店舗70名のスタッフを有する。マネージメント業務及び経理責任者。

シリーズ:この人から学ぶ、成功の秘訣「TBMG」

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