ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2009.8.6
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美容師かお笑いかを選択肢にする
高校生の頃、島根にいた私は大阪に憧れていました。というのもエンターテインメントの世界に入りたくて、友だちとお笑いの道を目指していたんです(笑)。でも父に、「お笑いの世界に入りたい」なんて言っても許してくれるはずがありません。そこで別の手段として、大阪で美容師になりたいと言いました。このままだと一生を島根で過ごすことになるだろうし、勉強が苦手でサラリーマンになる気もなかった私は、お笑いと美容師という道しかなかったんです。私は元々は理容室派でしたが、高校生になって美容室に通い始めました。そのサロンにいた男性の店長さんがカッコよくて、美容師という選択肢が生まれたんだと思います。当時は須賀勇介さんなどの男性美容師が増えてきた頃でしたから。あくまでも目的はお笑いでしたが、父と口論して「お前なんかに女性を相手にする美容師なんて務まるはずがない!」って言われて負けん気に火がつきました。
しっかりレッスンをして2年目にはスタイリストに
大阪に出て住み込みができるサロンに入社。奈良の支店に配属され、仕事をしながら美容学校の通信課程で学びました。初めの頃は、入社してすぐにカットができると勘違いしていました(笑)。それに、よく失敗もして厳しく怒られた経験もあります。新人の頃から私はヤンチャで問題児扱いされていました。入社して数年は、まだお笑いの世界に入る夢をあきらめていなかったので、一人前の美容師になりたいとか独立して自分のお店を持ちたいなんて思ったこともなかったです。ずっといつお笑いに転向しようかと考えていましたが、サロンに勤め出してからはレッスンなどで時間がなかったので、切り替わるチャンスがありませんでした。こうして、お笑いを目指しながらも美容の技術もしっかり練習をして、有難いことに2年目にはスタイリストになりました。スタイリストになってからは毎日が勝負で、レッスン中は他のことを考える余裕がなかったですね。
相方が就職した時点でお笑いの道をあきらめた
最初のサロンは3年くらい勤め、それから心斎橋のサロンに変わりました。大阪の繁華街にあるサロンで店長まで勤め、カジュアルな雰囲気で自由にさせていただきました。ただ、大阪のサロンに変わってお笑いの情報を得ることができるかと期待していたんですが、まったくなかったですね。上阪して以来、大阪にいた相方とも連絡を取り合っていましたが、5年目くらいに彼が企業に就職をした時点でお笑いの夢をあきらめました。これが分岐点でしたね。彼とは将来の話もしたし、美容の仕事がおもしろくなりかけてきた頃だったのでお互いに納得しての結論です。実は、お笑いをしたかった理由は女の子にモテたかったからなんです(笑)。美容師は、女性客がほとんどで接客中に会話もできるので、このまま美容一本で頑張ろうという気持ちになりました。
未熟なカットで少女を傷つけた新人時代のひどい失敗
美容師になってからの失敗は未だ鮮明に覚えています。私がスタイリストになったばかりの2年目に、小学5年生の女の子をロングからショートにカットした時のことです。カットし終わると毒キノコみたいな頭になってしまって・・。それから翌日、街で見かけたので声をかけようとしたら、友達の女の子たちに囲まれ同情されて泣いているんです。本当に申し訳ないことをしたなと罪悪感を感じました。他にも、楽しかったことより失敗の方が覚えています。私は不器用なので、練習では他人が100回するところを3000回や5000回しました。コンテストに出場しても、周りの人はみんな上手そうに見えるんです。だから、練習はかなりやりましたし、そうしないと勝てなかったです。そのお陰で技術をマスターすることができ、コンテストでも優勝することができました。初めは苦痛でしたが、結果が伴ってくると自信になり嬉しくなりましたね。
ビュートリアム時代に美容人生における師匠と出会う
お笑いの道を断念し、2店舗目も退職した頃はしばらく放心状態でした。そこで、オーストラリアにワーキングホリデーに行くか、関西に初上陸したビュートリアムに応募するか、どちらかにしようと考えました。ビュートリアムには受からないだろうと半ばあきらめていたんですが、なんと面接に合格!面接をしていただいたのは山本学さんで、今でも私の師匠です。山本さんには、技術的にも人間的にも大きな影響を受けました。今までの私の技術が中途半端だったことを悟らせてくれたのが山本さんなんです。自分ではまっすぐカットしているつもりでも、きちんと切れていないと指摘されました。ワインディングもカラーリングも同様でした。ブローなんか何万回やったか記憶にないくらいです。しかし、そんなビュートリアムも2年未満で契約切れで退職することになりました。それから次のサロンも3日で辞めて、ホントに気持ちもブルーになっていました。気分転換のため実家にしばらく帰ったりしました。 20代の頃は常に壁にぶち当たってもがき苦しんでいた時代でしたね。
共同経営という形で郊外の住宅街にサロンをオープン
関西に戻って、5店舗目は神戸のステラに勤めました。あの頃はビュートリアムを経験して以来、自分のレベルを高めるために有名サロンに入社したいという気持ちが強かったです。ステラでは約3年お世話になり退職しました。きっかけは、ビュートリアム時代の同期のスタッフが独立するので、共同経営をしないかと誘われたからです。場所は、大阪の箕面です。彼が豊中に住んでいて、ビュートリアムの商圏から離れた閑静な住宅街がいいというのが理由で私も承諾しました。それが、箕面を基盤にスタートしたきっかけです。サロン名は「イン ザ ラフ」です。ところが、2年半くらいで相方が有名サロンの新店でオープニングスタッフとして勤めたいと言い出したんです。彼は、経営者より勤める方が自分に向いていると。私は、お客様の人数が少なくても今までお世話になった恩義があり、その責任からそのまま箕面に残ることを決心しました。そうしないと、後悔すると思ったからです。
時代の流れに合わせてサロンのコンセプトを変えた
新生イン ザラフは、アシスタント1名の他、当時付き合っていた彼女に受付をお願いして3人でスタートしました。実は、受付の彼女が今の奥さんです。それからスタッフが徐々に増えていきましたが、スタッフ間の問題もあり軌道に乗せるまでしばらくかかりました。セット面が4面にも関わらずスタッフが8人まで増え、逆に集客では苦戦を強いられていたので移転して拡張することが困難な時期でした。リスタートして2~3年は苦しい状況でしたね。ただ、ビュートリアムのような有名なサロンにしたいという夢は持っていました。その後、箕面市内で大型スーパーができ、その向かいにあるテナントの2階に移転しました。それが、エアフローの原点です。店名を変えたのは、サロンのコンセプトを変えたからです。イン ザラフはストリートテイストサロンでしたが、時代の流れで女性らしいエレガントなスタイルを提案したいと考え、インテリアやサロンのイメージもミッドセンチュリーな家具を揃えて一新しました。
技術志向から『人のこころ』を大切にする方向にシフト
当時は周辺にライバル店も少なく、いいデザインを提供すればお客さまに支持していただいた時代でした。技術指導も徹底しましたが、深夜までミーティングを行いスタッフ同士の意思統一にも重きを置きました。エアフローのコンセプトは、『ヤル気と本気と活気』。スタッフのモチベーションを上げ、明るさや元気のよさを全面に出しています。その後、支店を増やして今では3店舗を経営しています。今の幹部スタッフたちに勢いがあった頃、お客さまが増えたのをきっかけに次のステージに移行しようと支店を展開しました。それと同時に、技術志向だったのを、『人のこころ』を大切にしようという方向にシフトしました。ただ、今でも経営的には苦戦を強いられています。根本的に常に私はダメな経営者だと思っているんです。経営者になればスタッフや家族を幸せに導かないといけないし、お客さまに満足を与えないといけません。また、社会貢献や地域社会への還元も必要です。それが全くできていなかったので、30代になってからいろんな勉強をしました。今では、スタッフたちと和太鼓や着付やパフォーマンスなどのクラブ活動を行い、地元のイベントにも出演しています。
世の中に影響を与える美容師がたくさん出てきてほしい
来年には最初のお店を閉めて、4店舗目を出店したいと考えています。イメージは、リゾート風のサロンにしたいですね。それ以降は、のれん分けという形でスタッフの独立支援も考えています。これから美容師を目指す若い人には、将来のイメージを大きく持って頑張ってほしいと思います。この業界を明るくするのも暗くするのも、若い人たちのパワー次第です。私たちの職業は、美容という手段で多くの人に大きな影響を与えられると思います。その人の転機に関わったり、ブルーな気持ちを明るくしたりできますから。決してお金儲けに走らず、お客さまの笑顔を見たいという気持ちを大前提に美容を目指してほしいですね。若い頃は下働きがつらかったり、他の職業がよく見えたりします。でも、技術が上手くなりたいとかカッコいいスタイルを作りたいというのは、お金に換えがたいものです。20代はまだまだ未熟で修行時代ですが、30~40代になれば収入も増えます。何より、仕事を楽しんで世の中に影響を与えるような美容師さんがたくさん出てきてほしいですね。そうなると、美容界がどんどん明るくなると思います。
川上健壱(カワカミケンイチ)
エアフロー代表。島根県出身。ル・トーア東亜美容専門学校(通信科)卒業。大阪に上阪し、プラザヘア(奈良県)に勤務。その後、大阪市内でBFクラブ、ビュートリアム、神戸市内でステラを経て、1996年に大阪・箕面市でIN THE ROUGHを共同経営。その後、単独経営としてIN THE ROUGHを引き継ぎ、2000年11月にAIR FLOW RAKUENをオープン。'03年に有限会社コンピタンス設立。'06年にAIR FLOW WITH GARDEN、'08年にAIR FLOW ANOTHER LAGOONをオープン。現在、サロンワークを中心に撮影等でも活躍。また、サロン内で和太鼓チーム『山猿』、パフォーマンス集団『DMC』、クリエイティブチーム『PWR』などを展開し、地域密着型サロンとして地元に貢献している。
※2009年8月6日現在
シリーズ:この人から学ぶ、成功の秘訣「TBMG」
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木村 和彦さん(株式会社 友美) | この人から学ぶ成功の秘訣 TBMG
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