ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2008.1.10
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男社会で育ったがゆえに女性社会にギャップを感じる
両親が(九州で理容店を複数展開する)アーデントグループに加盟していまして、私が子供の頃から実家では理容店を経営していました。実は私は学生の頃に暴走族に入っていて、かなりやんちゃな時代を過ごしていたんです。だから、このまま福岡で就職するのは難しいと言われました。そこで、大阪に修道所みたいにすごく厳しいサロンがあるからと勧められ、修業に行くことを決めました。それが、メゾンドボーテだったんです。当時は、アーデントグループの中でもナンバー1の厳しいサロンと言われていたので、ここでなら人生を立て直すことができるんじゃないかと親も考えたようです(笑)。大阪ではメゾンドボーテで働き、美容学校は通信で学びました。最初にギャップを覚えたのは、美容が女性社会ということでした。私は男兄弟で男子校に通っていましたから、ずっと男社会で育ってきたわけです。だから女性から指示されることに抵抗を感じ、最初はまじめに仕事もしなかったんです。ところが入社して数ヶ月後に、師匠の小林先生の車に乗って私が事故を起こしたんです。
事故をした自分を案じてくれた師匠に報いたい
場所は鳥取でした。車が廃車になるほどの事故でしたが、幸いにも身体は無事で大きな怪我もありませんでした。そこへ、師匠がわざわざ大阪から迎えに来てくれたんです。私はてっきり怒られると覚悟していたんですが、『無事でよかったね』と逆に心配してくれたんです。そこからですね、師匠の気持ちに報いるために真剣にやろうと決心したのは。さらに、ワインディングコンテストに参加した時、同期の子が入賞したんです。私は、練習もしていないからできないのは当然なんですが、やたら悔しかったんですよ。それで、練習をするようになり、休日は11時間もレッスンしていました。平日も朝の5時までサロンで練習して、そのままシャンプー台で寝ることもよくありましたね。そのおかげで徐々にできるようになったんです。この世界は、努力すれば上達した結果が分かりやすい職業だと思います。いろんな技術を身につけていく中で、それができるようになった喜びが体感できる。そのことを若い時に味わった気がしましたね。
何事も『信じる情』を大切にして信念を貫く
実は幼少の頃、小学生の兄が年上の子から暴行を受けたことがあったんです。私はそばで泣いているだけで何もできなかったんですよね。その時、自分は強くなりたいと考えました。でも、その方法を誤り、暴力に走ってしまいました。本来ケンカは好きではないのに、自分を守る方法として、誤った表現をしてしまったんですね。社会に出てやっと、人間関係の大切さを感じることが出来ました。そして、働く中で目標設定がいかに大切かという事を学びました。これからは、幼少時代からの生い立ちを一度清算する「心情」で、「信条(=決意)」を軸に歩んでいこうと考えています。メゾンドボーテでは9年間勤め、最終的に店長まで任せていただきました。実は、私が店長を任された頃から、スタッフたちが辞めなくなったんです。
いやな時こそ人と向き合いみんなと気持ちを一つにした
メゾンドボーテは厳しいサロンでしたが、それはその人を育てたい、本物にしたいという愛情の表れだったんですね。その指導方法がダイレクトすぎて、長続きしないスタッフがいたんです。それが、私が店長になってからは、みんな残ってくれました。本当にいい仲間に恵まれました。いつかメゾンドボーテを全国組織にして、社長の銅像まで作ろうと考えていましたから(笑)。それくらい雰囲気がよかったです。その9年間で学んだことは、『因果は我にあり』ということでした。周りの人との関わり合いにおいて、大切なのは自分自身の考え方がどうであるかということ。どうしても人間は周りの目を気にしがちで、それが社内トラブルになることもあったんですね。メゾンドボーテは全寮制でしたから、サロンでいやなことがあっても寮に帰って顔を合わせないといけません。そんな時こそ、人と向き合うことが大切だと感じました。そして、みんなと気持ちを一つにして、どんなサロンにしたいのかという目的意識も大事にしました。
繁華街より地域密着型の郊外型サロンで勝負したい
独立を考えたのは、メゾンドボーテを辞める1年前でした。メゾンドボーテにはFC展開などの予定がなく、自分たちの将来をどうするかを真剣に考え、独立を選択。社長に独立の話をしたところ、すごく応援してくれました。最初は大阪に残ろうと物件を探していたんですが、アーデントグループが7人の出資者を募って、福岡にアーデントが理想とするサロンを出店する計画があるという話を聞いたんです。それが、アーティアーティでした。オープンは平成元年。ところが、出資者の代表をしていた方が病に倒れて、サロンを維持することが難しくなったんです。そこで、アーデントグループの山下会長から直々にお話がありまして、一度お店を見てほしいと言われました。私は有名な繁華街よりは、地域密着型の郊外型サロンを持ちたいという希望がありましたから、見た瞬間に『いいなあ』と思い、アーティアーティを買い取ることにしたんです。
直前の交代劇に戸惑うもスタッフと夢を毎日語り合った
福岡に帰ってからは、チラシやローラーといったPRはほとんどしませんでした。最初は1ヶ月に230万円くらいの売上で、どうしようかと悩んでいましたが、資金もないので口コミを頼りにしたんです。例えば、DMや販促物を作る場合、営業中にするのはNGですよね。だからといって、夜遅くにするのもつらい。だったら、現場ではお客様に集中しようということになり、徹底的にお客様に接することだけを考えました。実は、事前の挨拶や引き継ぎもできないまま代表になってしまい、初めは残ってくれた4人のスタッフとのコミュニケーションも図れなかったんです。年末まで営業をして、新年が明けてすぐに交代でしたからね。だから、スタッフたちとは毎晩、話しをしました。彼らとは育った環境や価値観が違うので、意思の疎通を図りながら、こんなサロンにしようと、将来の夢を語り合いましたね。
スタッフと5カ年計画を約束した『夢合宿』
でも、当初は16人のお客様が来られたら、スタッフが『忙しい』って言うわけです。私はビックリして、『16人なんて1人でこなせる人数だろ』って。それくらい、意識改革が必要だと思って、最初の3年はワンマンで鬼みたいな経営者に徹しましたね。その後、96年に今の取締役のスタッフたちが入社してきた頃、『この子たちと一緒に人生を歩んでいきたいな』って思うようになったんです。それまで最高で800万円だった売上が、彼らが入社した後に最高で1000万円を記録しました。800万円になった時はすごく嬉しかったのですが、1000万円に達した時は『だからどうなんだろう』って思ったんです。仮に1500万円に達しても、俺たちがやりたいことは何なんだろうと。それよりも、人生を誰と生きていくかに最大の価値があると思うようになったんです。それから99年に合宿を行って『5カ年計画』を立てて、会社が進む道を決めました。それが、『夢合宿』です。
各商圏が交差するように戦略を立てた出店計画
私は経営のことに関して何も分かってなかったので、利益のことを追求するよりはスタッフたちと幸せになるにはどうすべきかを考えました。そのために、1店舗では無理だから、支店を増やそうと頑張りました。つまり、店舗出店のための5カ年計画だったんです。2004年までに本店を含めて4店舗にして社会保険にも加入するといった計画で、それを達成しました。でも、いろんな方の協力を得たり、タイミングがよかったりと、たまたま運がよかっただけだと思っています。4つの支店はすべて商圏が交差する立地条件を選んで出店しました。それが、全体的にひし形を形成するような形になっているんです。つまり、点と点を結んで線にし、さらに面を作っていく出店計画です。お客様に対しては、特別なことをしていません。当たり前のことを一生懸命させていただいてるだけですが、あらゆる世代のお客様からご支持をいただいております。
美容師は想像つかないところで感動がある職業
私は美容室で、目に見える分野と見えない分野の両方を大切にしています。見える部分は、技術やデザインなど必要不可欠な要素です。これに対して努力しているスタッフを大いに評価しています。逆に見えない分野とは、価値観やフィロソフィー(哲学)といった考える部分で、それがいかにお客様に伝わるかが大事だと思っています。今後は、出店に関して直営店にして展開するのか、それとも今まで頑張ってくれたスタッフにのれん分けをするのかを検討中です。ただし、自分たちのスタンスは崩さないように進んでいきたいと思います。医者は人体の一部を切って、弁護士は人の心に入り込み、そして美容師は髪を切って感謝されます。さらに美容師は、我々の想像つかないところで感動があり、またお客様にも喜んでいただける。そんな職業は他にはないと思います。自分がやろうと頑張れば、必ず叶えられる職業ですから、若い人やこれから美容師を目指す人には頑張ってほしいですね。
古賀正徳(コガマサノリ)
福岡県出身。株式会社ネオ・アーデント代表取締役。高津理容美容専門学校卒業後、大阪のメゾンドボーテに9年間勤務。その後、福岡に戻りアーティアーティを出店。現在は福岡市に長丘本店を拠点として、大橋店、薬院店の3店舗、さらに郊外に、那珂川店を出店し合計4店舗を展開している。大阪時代から定評のある人材育成に力を注ぎ、地域密着型サロンとして全店とも幅広い客層から支持を得ている。
※2008年1月10日現在
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