ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2007.12.6
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『振り向くな、振り向くな。過去には夢がない』という川島さんの言葉
私が子供の頃、母が桑名市で理容室を、そして親戚が名古屋で美容室を経営していました。でも、私は車が好きだったので、学生時代は自動車関係の仕事を希望していました。ところが、その親戚の勧めでこの美容業界に飛び込んだのです。最初は理容科に通いましたが、これからの時代は華やかな美容の方に将来性があると思い、その親戚のサロンで修業を積みながら、通信で美容科に通いました。修業期間にはロンドンに渡り、ヴィダル・サスーンのアカデミーへ留学にも行きました。多い時は1年で4回くらい行き、技術をしっかり学びました。それから、川島文夫さんと出会ったんです。今でも川島さんは、私の師匠です。いろんなお話をさせていただき、多くの言葉をいただきました。その中で印象に残っているのは、『無理をしない方がいい。走りすぎると大変だよ』という言葉でした。それと、『振り向くな、振り向くな。過去には夢がない』という言葉も心に残っています。常に前向きの姿勢で頑張れというエールをいただきましたね。
カットウィッグを逆さまにして『これは全然ダメ!』
初めて川島さんのカットセミナーを名古屋で受講した時も印象に残っています。私はカットコンテストに出場して、かなり入賞もしていたから自信があったんです。ところが、カットしたウィッグをチェックしてもらったところ、先生が逆さまにしたんです。そしてカットラインを見てひと言、『これは全然ダメ!』と。まさか、ひっくり返すとは思わないですから(笑)。でもそれを見た時、『これからの時代はこの人だな』と痛感しましたよ。それから、川島さんの講習ばかり全国各地で受講しましたね。最初はなかなかお話もできなかったんですが、今では『水ちゃん』と呼んでいただいてます(笑)。それほど、川島さんに惚れ込んだのは、やはりカットが全てだと思っていたからです。セットではなく、カットでフォルムを作り、またカットによる再現性が求められている時代性だったからです。それは、今でも変わらないと思いますね。パーマやカラーも、やはりカットがしっかりできていないとデザインとして成立しないと考えていますから。
実家の理容室を美容室へ、1号店JAP誕生。
川島さんからは、人生論などもたくさん学びました。そこで私が思ったのは、『高級より一流が大切である』ということです。高級はお金で買うことができますよね。ところが、一流は絶対にお金では買えないですから。さらに、一流になるにはそこにたどり着くまでのプロセスが必要です。そんな話を、今の若い人たちにも言っています。川島さんからそんな影響を受けつつ、親戚のサロンでは4年ほど修業をさせてもらい、その後は実家に戻って母のサロンで仕事をするようになりました。母は理容師として、私は美容師として、1軒のサロンで両方の展開をしていたんです。すると、美容組合からどちらかにしてほしいと要望が・・。当時、結婚をしていた私は、嫁と共同で美容をしていたせいか、お客様が増え始めた頃でした。私は母に、『今まで頑張ってきたからもう引退して、後はまかせてほしい』と言って、実家の理容室を美容室に改装したんです。それが、1号店のJAPです。
サスーンカットで売り出した1号店は口コミで大人気に
1号店のJAPは20坪のサロンで、今でも残しているイーゼルの形をしたセット面が6台、シャンプーが2台でした。スタッフを3人雇って、私と嫁を合わせて合計5人でスタート。初めてお店を持った時は、本当に嬉しかったですよ。でも、ロケーションは最悪な環境でした。こんな場所にお客様が来られるのかというような雰囲気でしたからね(笑)。ところが、オープンして3ヶ月後に大変なことになったんです。なぜかお客様が大勢来られるようになり、予約制にしないとやっていけないと嫁が言いだしたんです。それくらい増えました。そこで、新たな問題が発生しました。それは、こんなに流行るとは思っていなかったので、駐車場を確保していなかったんですね。その結果、ご近所さんの前や路上に駐車されるようになり、スタッフ全員で対処しました。当時はPRをしなかったのですが、サスーンカットで売り出したせいか、ほとんど口コミで来られましたね。
新店舗をオープンした直後にスタッフ全員が退職
それから、mod's hairが四日市にフランチャイズを募集しているとのことで、出店を決意しました。多分、名前の知られていないJAPよりはmod's hairの方が集客が図れるだろうと思ったからです。そこで、嫁は桑名に残り、私が四日市へ。その時に、2人目の子供が生まれました。しかし、四日市のmod's hairは、その後3年で閉店しました。その理由は、忙しすぎて私が体調を壊したため、続けることができなくなったからです。それから桑名に戻ったんですが、男として嫁のサロンに戻る辛さといえばなかったですね。そこで、自分の居場所を確保するために、現在のPER-HAPSをこの3階にオープンしました。ここが、PER-HAPSの1号店になります。オープンしたのが7月。ところが、9月にPEEK-A-BOOの月例会から帰ってきたら、スタッフ全員が退職してしまったんです。私のやり方が悪かったんでしょうね。すごいショックでした。
スタッフが辞めて初めて知った『人財』の大切さ
それから数日後に何人か戻ってきましたが、私は受け入れませんでした。そんな風習はよくないと思ったからです。そこで、JAPを閉めて、私と嫁と親戚の息子の3人でこの店を守っていきました。それは、スタッフたちが辞めた翌日からのリスタートでした。今思えば、他店でスタッフを指導したり教育した経験もなく、自分のことばかり考えていましたから、私自身が未熟だったんですね。だから、彼らには悪いことをしたと思っています。彼らの不満を分かってあげる余裕がなかったことに反省しました。でも、そんな辛い経験があったからこそ、今のPER-HAPSが存在していると思っています。そこで私は、人の大切さを痛感しましたから。しかし今思えば、そんな挫折を味わうことも、人間として生きていく上で必要なことだと感じています。そんな経験を乗り越えていくことで、人間は成長していくのだと思います。それに、彼らの中には、今でも付き合いをしている人がいますから、彼らを恨むこともないです。逆に、彼らが私に教えてくれたと思っています。
『人徳』がなければ大勢の人は集まらない
28歳から独立して、集客アップや支店のオープンなどすべてが順調に進んでました。しかし、体調を壊して支店を閉めて、新たにオープンした矢先に今度はスタッフ全員が退職。一気に崩れ落ちた瞬間でしたね。世の中、そんなに甘くないぞって戒められた気がしました。そんな状況になると、倒れる人がほとんどだそうですが、意外と私は倒れなかったですね。それから盛り上げるまで1年半、人が集まるまで3年くらいかかりました。でも、それから現在までサロンの勢いは衰えていないと思います。あのことがきっかけで、人徳も得たような気がします。 1号店のJAPをオープンした時もそうですが、大勢の人が集まるということは、この『人徳』が大切なんじゃないかなと思います。例えば、チラシを作って集客をするサロンが多いと思いますが、私は今までオープン時くらいしか作っていません。一度、お客様から『チラシなんか作って、まだお客さんがほしいの?』って言われたことがあったくらいです(笑)。
その女性のヘアを見て私がカットしたと分かってくれる
『チラシなんか、出さない方がいいわよ。お客さんが増えたら混雑するし、お得意さんが待たないといけないから』なんて言われたこともありました。チラシを出さない分、自分のカットでPRするつもりで丁寧な仕事をするように心がけましたね。そのおかげで、私がカットしたお客様が他の人から『PER-HAPSの水谷さんにカットしてもらったの?』と聞かれることがよくあったそうです。それは、ヘアスタイルを見ただけで、私がカットしたことが分かったからだとか。自分では、一生懸命にカットしているだけなんですけどね。以前、こんなエピソードがありました。名古屋から来られているお客様が、デパートのトイレで知らない人に『どこの美容室でカットされてるんですか?』と聞かれたそうです。そのお客様は、『名古屋からはちょっと遠いですよ、桑名ですから』と答えられて…。すると、『私も桑名のサロンなんです』と、その女性も偶然、私のお客様だったんです。実はその方、きれいなヘアをしていたのでサロンを教えてもらうつもりだったそうですが、これで浮気はできないなと思ったらしいです(笑)。
スタッフは雇うのではなく『育てる』こと
たまに、私がここで仕事をしていることを不思議に思う時があります。それは、スタッフたちのおかげであり、サロンが大きくなったのも彼らのおかげ。今では、スタッフは雇うものでも使うものでもない、育てるものだと実感しています。だから、彼らとはトレーニングをしている時でも、常にコミュニケーションを取り続けています。新人スタッフの中にも入っていきますから。それと、影で支えてくれた嫁の力もあります。そんな方々に、感謝しています。実は、桑名のサロンで『PER-HAPSさん』と、さんづけされているのはうちくらいだそうです。ここに来れることが嬉しい、と言ってくださる方もいて、『これからも頑張ってやってね』と言われます。だから、行けるところまで頑張ります。他店と比較して、『人財』だけはどこにも負けていませんから、スタッフたちを全面に出していきたいですね。それだけに、若い人にはいろんな人脈が作れるこの業界へ、どんどん進出してきてほしいです。それだけ魅力的な職業だと思いますから、夢を実現してほしいですね!
水谷晃(ミズタニアキラ)
三重県出身。三重高等理容美容専門学校(現ミエ・ヘアー・アーティストアカデミー)卒業後、名古屋市内のサロンを数店舗経て、母親のサロンである理容店を手伝う。その後、1980年に28歳で独立し美容室としてJAPを三重県桑名市にオープン。その後、1987年にPER-HAPSをオープンし、1999年にmod's hair 桑名店、2001年にmod's hair 名古屋栄店、2004年にPER-HAPS SUPER POSITION、2006年にPER-HAPS PARK AVENUE、2006年にmod's hair 桑名店を改装し、キャンディーグラマシーをオープンするなど、『上質で上品』をコンセプトに現在は5店舗を展開。現在、サロンワークのみならず、テレビや雑誌の取材、カットスクールや大学の講師を務めるなど、その活躍は多岐にわたる。
※2007年12月6日現在
シリーズ:この人から学ぶ、成功の秘訣「TBMG」
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木村 和彦さん(株式会社 友美) | この人から学ぶ成功の秘訣 TBMG
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