理容業を営む長男として理容の道に進みかけるも、最初の仕事はカメラマン。ところが父の説得で再び理容師を目指し、高級サロンでの勤務等を経て若干24歳で独立出店。その後、父との共同経営を経て、海外留学で美容のカット技術も修得。コンテスト優勝などで国内外に技術をアピールし2003年には「現代の名工」を受賞。新たにTHE BARBERを展開し、大人の男性の為の高級感を漂わせたサロン展開を行っている。
ライター 前田 正明 | カメラ 藤村 徹 | 配信日 2016.10.13
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専門学校時代のボランティアカットと高級サロンの勤務で自信を得た
理容師になったきっかけを教えていただけますか?
父が福井県で理容業を営んでいたので、長男である私はこの道に進むしかないだろうと、理容師になることを決めました。ところが、東京に出て専門学校に通っていた頃、父が体調を崩してリタイアすることになったんです。私は家業を継がないならこの学校にいる理由もない、それなら好きな事をやろうと、学校を中退してカメラマンになりました。自分が継がなければ、という意識で理容の道を選びましたが、理容師に憧れを抱いてなりたいと思ったわけではなかったんです。カメラマンは5年くらい務めましたが、重労働で過酷なんですよね。その後、体調を崩して静養している時に、父が復帰して理容業を再開したんです。その時、父の説得で再び専門学校に通うことになりました。専門学校生時代は、早く実践力を身に付けたかったので、老人ホームでボランティアカットをさせていただきました。土日や夏休みなどの長期休暇には毎日通い、そのお陰でカット技術を習得できました。インターンの頃は父の店で働き、その後は東京の八重洲の理容室に就職しました。そのサロンは1960年代の当時、東京で最も料金が高いサロンとして有名でした。高料金サロンは技術的にもレベルが高いと思い、また自分の技術が通用するかを試したくて入社しました。そのサロンでの勤務は2年間だけでしたが、周辺企業の役員クラスのお客様に支えていただきいろんなことを学ばせていただきました。
稼げる理容師になり自分の夢を叶えるために若干24歳で独立出店
新人の頃に抱いていた夢や初めて自信を持ったことはなんですか?
八重洲のサロンは指名制ではなく7人の技術者が順番で担当していましたが、あるお客様に「次回からは君にずっと担当してほしい」と言われた事がありました。ある企業の社長さんで世の中の「良いもの」をたくさん知っていて、とても教養のある方でしたが、その方に認められたのがすごく嬉しくて、理容師として初めて自信を持ちました。その後、低料金サロンのシステムも経験したいと思い、八重洲のサロンを退職して池袋のサロンに勤めました。実は新人の頃から、どうせやるなら理容師としていつかは日本一になりたいという夢を持っていました。それと同時に、現実的な夢として「稼げる理容師になる」ことも目標の1つでした。そこで、高級サロンと低料金サロンの両方を経験したことで自信を持ち、24歳の頃に八王子に初めて自分のサロンをオープンしました。自分が持っているいろんな夢を叶えるために、独立はその第一歩だと考えていたからです。最初のお店はプレハブ小屋で水回り以外はすべて手作りで行いました(笑)。まだ若かった事もあり、失敗なんて考えずに、ひたすら前だけを向いて突っ走っていましたね。チラシを配ったりいろんなことをしたお蔭で多くのお客様に来ていただきました。
2世代経営による意見の相違は出店の提案で規模を拡大して回避した
独立して苦心したことやその後の経緯を教えていただけますか?
実は独立して2年くらいの頃に、父がまた体調を崩したので、八王子のサロンを閉店して日野で営業していた父のサロンを手伝うことになりました。私より年上のスタッフが4~5人いましたが、八重洲の高級サロンに勤めていたので自信はありました。本格的に理容業に取り組んだのは、ここからかもしれません。ところが、父と私の間で経営方針が徐々にずれてきたんです。父は今までの経験値で考え、私は東京のサロンで学んだことを生かしたい。そんな2世代でのバトルが始まったんですね。でも、親子で喧嘩別れする訳にもいかないので、支店を出店して、それぞれのサロン展開をしていきましょうと私が提案し、お店を拡大していきました。私はその間にコンテストに関心がわいて、27歳から出場しはじめ、日本一になるまで毎年挑戦しました。29歳の頃にはロンドンのヴィダルサスーンに留学してカット技術を学びました。それまで理容の世界にいた私は、ヴィダルサスーンさんと出会ったことで美容のカット技術に興味を持ち、パリのアランインターナショナルにも留学しました。
海外アカデミーでの経験を生かして業界でいち早くユニセックスサロンを展開
理容師として美容アカデミーでの経験をどのように実践しましたか?
実は専門学校に入学した当初は、理容師ではなく美容師になりたかったんです。ところが、時代が早すぎたのか当時はまだ男性美容師がまったくいなかったので理容科に入学しました。実際にサロンワークでも女性のお客様を担当した経験もなく、サスーンのアカデミーで初めてレディスカットを体験したんです。理容師の私が美容のカット技術に興味を持ち始め、それまでメンズ部門で出場していたコンテストもレディス部門に変更しました。実は、ヴィダルサスーンさんも出身はバーバーなんですね。そこに共感を持ったのも事実です。そこで自信を持ったことで女性のお客様もご来店していただけるように、32歳の頃にユニセックスサロンをオープンしました。当時はユニセックスで展開しているサロンはどこもなかった時代で、女性も来店されやすいお店を手がけました。雑誌やテレビの取材で取り上げていただきかなり反響がありましたね。さらに、サスーンで学んだカットテクニックやプログラムを日本流に私がアレンジして、スタッフにも対応できるようにマニュアルを作って指導しました。同時に、シャンプーやメンズカットの教育プログラムも一新し、そんな経緯を経て40歳に起業をしたんです。
スタッフはウサギとカメの2タイプに分けて双方に合った指導法を実践
スタッフ教育に関してのモットーや指導方法について教えていただけますか?
私のスタッフ教育のモットーは、私と同じテクニックを持つ技術者に育てること。マニュアルの中に私の考え方を盛り込んで、指導をする時は常に私が接して教えました。サロンのブランド化や統一感を確立させるためには、私と同じ技術者に育てることが一番の近道なのでそれを徹底して教えましたね。コンテストでも、優勝者の作品を再現できるようになればテクニックが上達し、そこから自分流の工夫が生まれます。ただ、人間は「ウサギとカメ」の2パターンに分類されます。何事も習得の早い人と時間がかかる人がいますが、私は両方とも正しいと考えています。習得が早いから優秀で遅いと劣っているとは思わないんです。だから、双方に合った指導法を実践しています。例えば、カメさんタイプは時間がかかると分かっていれば、指導する方もイライラしませんよね。しかも、時間がかかる分、慣れると仕事が丁寧になります。逆にウサギさんタイプの人はキャリアが少ない分、ミスが多いと予想して慎重になるように教えています。自分を過信して仕事が雑になるケースもありますから。そんな風に人を見ることができれば、指導方法や教育の方向性が確立できると思います。
ヴィダルサスーンやトニー&ガイを抑えてBeauty EXPOで最高峰を受賞
コンテストに出場して日本一になるまでのご苦労は何でしたか?
コンテストに出場した当初は入賞もできす、7年でようやく日本一になりました。それが35歳の時で、レディス部門での優勝です。実は講習会で講師の依頼を受けていたこともあり、スタッフのアドバイスで28歳の時にワールドヘアモード協会という研究団体を設立しました。当時はたくさんの加盟サロンが集まり各地で講習会を行っていました。そんな経験もプラスとなり、コンテストの成績が徐々に上がり、これならやれるという自信がつきました。精力的にサロンワークと講習会を行いながら、コンテストの練習は深夜の1時からという日々を送っていたので、当時の睡眠時間は2~3時間でしたね。でも、まだ若かったので寝るのが惜しいという感覚でしたよ(笑)。日本代表として世界大会にも出場しましたが、印象に残っているのは1989年にロサンゼルスで行われたBeauty EXPOです。これは世界の見本市・展示会の一大イベントで、開催期間中にヘアショーのコンテストがあり、日本代表で出場した私が「The Best OF World Theater」を受賞しました。私は西洋のスタイルではなく日本の伝統美をテーマに展開し、それが高く評価されたようでした。そのヘアショーにはヴィダルサスーンさんやTONI&GUYの設立者でもあるトニーさんらも出場されていましたから本当に嬉しかったですね。2003年には「現代の名工」もいただく事ができました。これまで頑張ってきた事を認めていただけたんだと思い、喜びと感謝でいっぱいだったのを覚えています。
理容の原点に立ち返ってお客様が利用したい理容室をスタート
新しく立ち上げたTHE BARBERのコンセプトやその経緯を教えてください。
新しい展開として、「THE BARBER」を立ち上げたのは私が61歳の時で、最初は渋谷にオープンして1~2年ごとに出店し、7店舗まで拡大しました。実は10数年前から、男性客が美容室に行きづらくなる時が来るのではないかと考えていたんです。若い頃はいいでしょうが、年齢を重ねて行くうちに美容室にいることに男性は違和感を感じるのではないかと。そんな方々に満足していただけるようなサロンとしてTHE BARBERをオープンしました。理容の原点に立ち返って、お客様にとって利用したい理容室とは何かを具現化したサロンです。オープンにあたり、今までとは違う6人のメンバーを集めて再スタートし、最初は徹底してリサーチを行いました。例えば、飲食店などで知り合った男性に尋ねると通っているのがほとんどが美容室で、雰囲気が落ち着かない、技術者がよく変わる、シャンプーブースへの移動が恥ずかしい、たまには顔剃りをしてほしいなど多少のご不満がありました。そんな貴重な意見をまとめて、バーのように落ち着いたゆっくり寛げるサロンがいいという結論になり、それをイメージして立ち上げたのが今のサロンです。理容美容に関わらず、独立して出店する時はみんな自分の夢を実現しようとします。でも、それはお客様目線ではないケースも多々あります。私は今までそれで失敗してきたので、今回はお客様が行きたいお店を作り、それに見合った接客と技術を確立させました。お店をつくる上で一番大切なのはブランディングだと思うんです。コンセプトをしっかり立てて、自分のお店のブランドを守っていくことが大事です。空間もメニューも接客も、お店に置くディスプレイ1つだってブランドにつながっていくんですよ。
お客様が不快に感じる部分をすべて排除して快適に過ごしていただく
具体的にどのようなシステムやサービスを導入されたのですか?
例えば、従来の顔剃りは切れ味が良すぎて皮膚を痛めることがあったのでオリジナルのカミソリを作りました。また、男性には男性が好むタッチや力加減があるので、それを研究してメンズに特化したヘッドスパも開発しました。その結果、今では70%以上のお客様がヘッドスパを注文されています。細かい部分でいうと、衛生面や気持ち良さを考慮して使い捨てのカットクロスをお一人ずつに使用しています。今まで私たちが気づかなかった男性のお客様が不快に感じる部分をすべて排除して快適に過ごしていただくように配慮しています。お客様には相当の料金を頂くことになりますが、その金額に見合う、またはそれ以上のサービスと接客を提供している自負があります。一般的な理容室よりも高い料金にこだわる理由はスタッフの待遇を良くしたいという私の願望によるものです。一般的に若い理容師たちの給料が安く、サラリーマン並みの収入を得て長く勤めてもらうためには、お客様から高い料金を頂くことになります。そのために、常にご満足していただける技術とサービスをご提供しないといけません。それを実現するために、システムをすべて一新しました。さらに、ブランド展開を図る上で、やはり一等地に出店することがステータスになると考えて計画を進めています。今では多くのお客様に来店していただいていますが、最初は徹底した商圏分析を基に、ハンティングとポスティングでチラシを8万枚ほど配布するなどかなり努力もしましたね。
お客様の志向と求めるテイストを見抜くパーソナルアナリストを構築
理容業においてファッションやトレンドをどのようにデザイン化していますか?
私はかつてパリコレや東コレでヘアメイクを担当したことがあります。私のヘアスタイルは素晴らしいとみんなが褒めてくれるのですが、ある時デザイナーさんから、洋服のテイストにマッチしたデザインにしてほしいとクレームを受けるという苦い経験をしたことがあります。そこで、パリのトレンド会社に行ってファッションやトータルコーディネイトを勉強しました。はじめはヘアは関係ないと相手にしてもらえませんでしたが、ヘアとファッションが密に関係している事を何度も説明し、教えてもらいました。フランスのファッション協会からヘア業界で初めてのディプロマをいただいたのは私なんですよ。そこで学んだことを理容用に編集してヘアデザインに役立てています。それは、お客様の志向を分析して求めるテイストを見抜くための「パーソナルアナリスト」というマニュアルです。例えば、今流行りのデザインを求める「トレンディ」、新しいデザインを求める「アップデート」、常にお気に入りのデザインを求める「コンサバティブ」というタイプに分類し、さらにそれぞれをカントリー、アクティブ、マニッシュ、モダン、ソフィスティケート、エレガンス、ロマンティック、エスニックの8種類のカテゴリーにつなげています。それぞれ、行動やファッションや色などの好みがその人に反映されているので、そこからヘアスタイルに落とし込んでデザインしているんですが、ファッション業界ではこれがベースになっているんですね。年齢に関係なく男性もおしゃれ願望を持っているので、それをスタッフや専門学校の授業でも教えています。
人と人とのお付き合いを大事にして常に感謝の念を持ってほしい
最後に業界の未来を担う若い人たちへのエールと今後の計画を教えてください。
この仕事は年齢に関係なく現役で頑張れる世界です。しかも、自分が手掛けたスタイルで感動していただけるお客様がたくさんいます。若い人には、人と人とのお付き合いを大事にして、常に感謝の念を持ってほしいですね。また、技術者としてお客様から信頼されるためにはデザイン力を養わないといけないので、若い人はキャリアがない分、デザイン力を身につけてほしいと思います。私は20年や30年来のお付き合いをさせていただいているお客様が大勢いて、そんな方々の人生観までも変えてしまうほどの職業がこの理容だと考えています。私は今年で73歳ですが、座右の銘が「かぎりなき前進」なんです。年齢に関係なく、常に前進したいと考えています。今後は銀座の2店舗を頂点に、日本橋と代官山さらにニューヨークにも出店を計画しています。私たちが頑張って若い人たちが魅力を感じていただけるような業界になれば、課題の後継者問題などもクリアできると思います。そのために、若い人たちを育てて後進に任せられるような信頼関係を築くことも必要ですね。そんな、さらに魅力のある業界になるように願っています。
ヒロ・マツダ
THE BARBERプロデューサー。福井県出身。国際文化理容美容専門学校卒業。1974年、ロンドンのヴィダルサスーンカットスクールに留学後、パリのアランインターナショナルカットスクールにも留学し両アカデミーにおいてさまざまなカット技法を学ぶ。その後 、第30回全国理容競技大会優勝を始め、ロサンゼルスで行われたBeauty EXPO‘98では「The Best OF World Theater」を受賞し、その技術を国内外にアピール。2003年には卓越した技能を持ちその道で第一人者とされる者に贈られる「現代の名工」を受賞。そして、2006年に「THE BARBER 渋谷」をオープン。その後、2007年に代官山、2010年に広尾、2012年に青山、2013年に東京、2014年に銀座、2015年にソニービルに出店。現在、後進の指導にあたる一方、全国各地でショーや講習などに精力的にこなしている。
THE BARBER
渋谷をはじめ、代官山、広尾、青山、東京、銀座(2店)に7店舗を展開。「おしゃれの提案、癒しの提供」をコンセプトにスタートし、お客様にとって利用したい理容室とは何かを具現化。スタッフはスーツ姿で接客するなど、高級感を漂わせた雰囲気でお客様をおもてなししています。
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木村 和彦さん(株式会社 友美) | この人から学ぶ成功の秘訣 TBMG
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