ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2012.2.9
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自分が美容師ならもっと素敵なデザインにする
中学3年生の頃、私はマッシュルームヘアにしていました。ある日、学校で頭髪チェックがあり、前髪が長いと指摘されてカットするように先生に言われました。そこで、トイレで前髪を切っていたら、やんちゃな友人が来てふざけ半分で無理矢理切られてしまったんです。それも、前髪を1cmくらいに・・・。その頭を先生や親に大爆笑され、急いで美容室に行きました。すると、バリカンでいきなり坊主頭にされたんです。その時、本当に寂しい思いをして、同時に自分の頭が絶壁だったことを知り、それをフォローしてくれた髪の毛の大切さを知りました。それから、ファッションの一部としてヘアに対する興味がわき、ショップでカットバサミを買って友人の髪をカットするようになりました。それが美容師になろうと思ったきっかけです。さらに、高校に入学してからは進学を考えていましたが、当時の名古屋ではおしゃれなヘアスタイルの人が少なくて、『自分が美容師になったら素敵なデザインにしてあげるのに』と思うようになり美容の世界に進む決意をしました。カッコよく言えば、そこにビジネスチャンスがあると感じたんです。
他の仕事を経験して自分の気持ちを再確認した
高校を卒業して、美容学校は通信科に入学しました。理由は、学費を自分で工面しようと思ったからです。父には、「大学に進学すると思っていたのに、美容師なんて女性の仕事だ」と反対されていましたから。当時は自分でホームカラーを試してみたり、いろんな美容室に通い、様々なスタイルを試しました。そんな派手な格好にしていたことも父は気に入らなかったようですね。でも、私は自立心が強かったので、アルバイトで学費を稼いで勉強しようと決めました。アルバイトは、いろんな世界を見るために他業種の仕事をしました。そうすることで、本当に自分は美容師に向いているのかを確認することもできました。様々な仕事をしながらも、やっぱり美容師になろうと思ったのは出会ってカッコいいと感じた人が美容師だったこと。また、長野県のスキー場でアルバイトをしていた時に、美容学校生ということでそこで働いていた人たちをカットさせてもらい、その時、ヘアを変えて人を喜ばせることに嬉しさを感じたことが決め手となりました。技術的にはまだまだでしたが、お礼でいただいたミカン3個分くらいはできていたと思います(笑)。
自分の実力を試すため上京をすすめられ決意
美容学校を卒業して名古屋で美容室を探しましたが、自分が入りたいサロンが名古屋にはなかなか見付かりませんでした。そんな時、偶然知り合った女性美容師さんが誘ってくれてインターン生として入社しました。最初に感じたのは、同期の昼間生と通信課程で学んだ私との技術的な差です。私はワインディングもできないしヘルプもできない。ましてや、最低限の専門用語も分かりませんでした。さらに、初めて出場させてもらったヘアコンテストで失敗したり、ワインディングやカラーリングでのレッスンを受けていた時も自分の未熟さにストレスを感じていました。しかし、なかなか上達せず「練習するしかない」と感じ、周りのスタッフには内緒で一人早朝練習を始めました。朝も夜も練習を続けたおかげで、初めて接客を任せていただき、すごく嬉しかったのを覚えています。その時に、この世界に入ってよかったと実感しました。そのサロンでは約2年ほど勤め、カットもマスターしてスタイリストとしてデビューもしました。そうなると、人間的にもっと上を目指そうと欲が出ますよね。ところが、そのオーナーは実力主義ではなく年功序列を重んじる考え方だったんです。さらに、「豊田は東京に行くべき。そこで自分の実力を試しておいで」と言われたんです。
今まで見たことのないサロンに衝撃を受ける
名古屋のサロンでオーナーに上京をすすめられましたが、「東京=ファッションの街」というイメージが強すぎて、東京で美容師をしている自分がイメージできませんでした。もちろんファッションも大好きだったので、友人を頼って上京しましたが、美容師を一度リタイアして次に進む道を考えつつ他業種で仕事をしていました。そんな時、代官山を歩いていてあるサロンに興味を覚えました。それがオープン直前のDaBでした。美容師をしている友人に話すと、注目を集めている話題のサロンだということを知りました。それまで、八木岡さんの存在すら知らなかったんです。後日、電話番号を調べて連絡をしたところ、話を聞いてくれたのが小野浩一さんでした。実際にお話を聞いて感化され、カッコいいスタッフやおしゃれな店内を見てさらに刺激を受けました。そこで、「一緒に働かせてください」とお願いしたところ、心良く了解していただいて翌週から勤めることになりました。実は、上京していろんなサロンを見ましたが、名古屋とあまり差はないと感じていたんです。しかし、DaBは今まで見たことのないサロンで、大きな衝撃を受けました。
採用の条件は『一生懸命に頑張って稼ぐ』こと
しかし、今日から出勤するという日の朝、なんと高熱が出て寝込んでしまったんです。小野さんに電話をすると、回復したら連絡をしてと言われ数週間後に電話をしました。ところが、今は人が足りているからと断られたんです。その時、一世一代のチャンスを逃したと心から後悔し、諦めきれず「働かせて下さい!」とお願いをしました。すると、本当にやる気があるのなら再来週に来てと言っていただき、大興奮しながらサロンに行ったのを覚えています。サロンに入ると大勢のお客さまでいっぱいです。しかも、初日にも関わらず山田千恵さんのアシスタントとしてカラーリングやブローをやらせていただきました。そして怒濤の3日間が終わった時でした。閉店後にサロンで飲み会をしていて小野さんに呼ばれたんです。私はてっきりクビなんだと思い込み、不安と緊張、絶望感でいっぱいでした。覚悟を決めて行ってみると、まず感想を聞かれ、私は謙虚に「いい経験をさせてもらいました」と答えました。すると突然、一緒にやらないかと言われたんです。私は感激して「お願いします!」と申し出ました。小野さんは、「1つだけ条件がある。やる限りは一生懸命頑張ってバリバリ稼いでくれ」と言い、握手をしてくださいました。そして、スタッフ全員の前で「今日から入社が決まりました」って紹介してくれたんです。あの感激はいまだに忘れられないですね。
都会的な人間にするための『豊田改造計画』
入社が決まってから、実は豊田改造計画が始まったんです(笑)。当時の私はストリート感覚の古着ファッションでヘアも派手なカラーをしていました。そんなダサイ格好はやめろと初日から注意され、さらに少しでも都会的な人間になれるように先輩たちから徹底的に指導されました。時には、方言を直すために先輩がお客さまをよそおって予約の電話をかけてきて、知らずに応対させられたりもしました(笑)。厳しいながらもあたたかく育てていただきました。また、山田さんのアシスタントのお仕事もさせていただき、徐々にヘアメイクの仕事をさせていただくようになりました。名古屋のサロンでは美容の基礎から教わってカットまでマスターしていたんですが、DaBに入社してからすべてを一から学びました。でも、褒められたり叱られたりしながら、不安な中にもやりがいがありました。それは、自分が期待されているのが感じられたからです。八木岡さんは雲の上の存在でしたが、お酒の席などで身近に接してくれて大きな影響を受けました。自分の中で世界観が広まり、たくさんのチャンスをいただきましたね。
もっと高い目標を持てと師匠からの叱咤激励
DaBでは9年間お世話になりました。その間に、自分でCMのヘアメイクの仕事を取ってきたり、サロンでも売上げを上げるようになり中間管理職として後輩たちを指導するまでになりました。その時、ある意味での達成感と、組織の中における限界を感じて無力感に陥っていたんです。私は自我が強かったせいか、時には問題児扱いされたこともありました(笑)。DaBをよくしたいと思いながらも、まわりの人に迷惑をかける行動は許されません。そんなジレンマに陥りながら、さらに美容師になった頃から自分のサロンを持ちたいという思いもあり徐々に独立を考え始めました。それを小野さんに相談したところ、自分たちもそうしてきたからと応援してくれたんです。その時、心の引っかかりが取れて認めてくれたことに心から感謝しました。その後、表参道の支店に異動になり、八木岡さんと2年ほど一緒に仕事をさせていただきました。そこで、独立にあたって経営面や物件探しなどいろんなアドバイスをいただきました。自分が考えていたことよりも、もっと高い目標を持てと叱咤激励された時は本当に嬉しかったですね。心の整理をつけるための貴重な2年間でした。
2階をギャラリーにしたことで大きな相乗効果に
出店に際して苦労したのはやはり資金面でした。私はDaBから独立した第1号だったこともあり、小野さんが親身になってタカラさんやディーラーさんを紹介してくれて代官山にオープンすることができました。それがSTRAMAです。サロンのコンセプトは、ヨーロッパ感覚のアンティークな世界観。代官山にある家具屋さんの協力で、ヨーロッパまで家具を買付けに行きました。テーマは『未完成』で、常に変化のある環境を意識しています。集客面では、インターネットのSNSで私の独立に関するカキコミがあり、それで出店を知ったお客さまが大勢来ていただき感激したのを覚えています。また、雑誌にサロンを紹介されたり、2階のフロアをレンタルスペースにしてギャラリーにしたことも大きな相乗効果になりました。スタッフも徐々に増え、教育に関しては『教えることよりも育むこと』に重点を置いています。まじめに教えられたことだけをこなす人は多いですが、それからオリジナリティーを出すまで次元を高められるように育ってほしいと考えています。DaB時代に私がそう教わったように、今のスタッフも高い位置まで登ってほしいですね。
将来は美的センスをプロデュースをするのが夢
その後、頼りにしていたスタイリストの退職で一時的にピンチを迎えたこともありましたが、逆にスタッフのモチベーションが上がって2011年には南青山に支店をオープンすることができました。今後はスタッフの成長と共に、彼らの独立を支援できるシステムを確立したいと考えています。自分がDaBで育てられたように、STRAMAを原点にしてそこから卒業できるいい人間関係を築きたいです。美容にとどまらずセンスのいい物や空間をプロデュースして、マネージメントやコンサルティングとして携わっていくのがもう1つの夢です。特に、郊外や地方のサロンとコラボできたらいいですね。最後に、この業界で頑張っている若い人たちには、高い夢を持って前に進んでほしいと思います。媚びたり小さくまとまらず、自分の目で見て感じたことを大事にしてほしいです。
豊田永秀(トヨダナガヒデ)
(有)Drake equation代表。愛知県出身。中部美容専門学校通信科卒業。愛知県内で美容室1店舗を経て、1995年に上京しDaBに入社。サロンワークを中心にファッションショー、TV、CM、ファッション誌、業界誌などのヘアメイクとして活動する。2002年JHA(ジャパンヘアドレッシングアワーズ)優秀新人賞を受賞。2004年に独立開業のため退社。その後、A/Wより東コレのヘアメイクに参戦。2005年にSTRAMA hair&spaceをオープンし、有限会社 Drake equationを設立。さらに、STRAMA FC(Futsal Team)とhair&make部門、STRAMA storeをスタート。その後、2階にNEW SALONを増設し店舗を拡張。2009年・2010年にJHA(ジャパンヘアドレッシングアワーズ)グランプリノミネート。2011年にCLARICA&STRAMAをオープン。HEAD OFFICE Drakes tokyo 設立。
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