ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2009.12.3
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美容師はコームがあればどこでも仕事ができる
実は学生の頃は美容師よりパティシエになりたかったんです。ところが入学を望んだ調理学校はパリ留学があって、当時円安だったので、その費用は十数万! これは無理だと断念し、落ち込んでいたところに母から私の運命を変える言葉があったんです(笑)「美容師はコーム1本あれば、世界中どこでも仕事ができるよ」母は若いころに美容師に憧れていたそうです。楽しそうに美容師を語る母の姿は今でもとてもよく覚えています。自立心の強い私は、この言葉に心を惹かれました。思い立ったら吉日、という言葉があるでしょう?(笑)美容師を目指すために即行動を起こしました。「やる!」と決めた以上時間もお金も無駄にしたくない。自らを追い込むために「3年間で結果を出す」という約束を母と交わしました。親戚が大阪で美容室を経営していたので、美容師を目指す環境としては恵まれていたのかもしれません。私は実家を出て寮生活を送りながら、そこで働かせてもらいました。その間、美容学校の夜間コースで基礎技術を学びました。
好きな人をイメージしてシャンプーをしていた
そのサロンには6年間お世話になりました。私は約束の3年間で美容師として確立できるように、自分で自分を追い込んで、すべて2年間でマスターする計画を立てていました。新人の頃は、多くのお客様に満足して頂き、支持して頂けるように心がけていました。そのため、たとえばシャンプーでは、お客様を母や友達など好きな人をイメージしてシャンプーしていました。これがたくさん指名を頂けた秘訣かもしれません。それでチップを頂くことも多々ありましたから。ポケットのない服を着ていた時は「気が利かない子ね」って叱られたこともありましたね(笑)。1年9ヶ月でスタイリストデビューして、4年目には主任になり店を任されていました。スタッフは8名で先輩が多かったので大変な部分はありましたが、お客様に支持されることでなんとかやってこれました。
ここに留まらずもっと違う世界でも活動したい
当時、トリートメントで来店されるお客様も多かったので、私が提案したアイデアがトリートメントのボトルキープ制。このようなアイデアの提案が、お客様にも喜ばれ、自然と店販の売り上げも伸びたんです。そんなサロンワークに精を出す一方で、私はヘアメイクの仕事にも興味を抱いていました。もっと違う世界でも活動したいと。そこで次に大阪の心斎橋のサロンで勤めました。私はメイクスクールに通っていたのですが、実践の経験やノウハウがなかったのでフリーのヘアメイクさんのレッスンを受けさせていただくことを条件に採用してもらいました。当時はスタッフが36人ぐらいでしたが、私は1年後にはサブチーフになれました。
カット&ブローが流行った時代にトータルで美を追求
私はセットや着付も学んでいたので、入社して間もなくコーチにもなりました。ヘア以外の技術をマスターしたかったのは、自分の仕事を形にして残したかったからです。日本の美容室の原点は、メイクや着付、さらに「お美顔」と言われたエステティック的な技術でした。当時は、時代の流れでカット&ブローのサロンが増えていましたが、一過性に過ぎないと思っていました。だからこそ、美容業としてカット以外の技術もマスターし、それらを用いてトータルで『美』を表現したいと考えていたんです。さらに、作品として写真に撮って残したい。それが、ヘアメイクに興味を抱いた理由です。心斎橋のサロンに移るとお客さまの層も広がり、芸能関係者やモデルさんたちが来店されてそこからヘアメイクの仕事につながりました。
ヘアメイクに対する理解が少ない時代に独立を決意
さらに、ある女優さんの着付とセットとメイクを依頼されたこともありました。専属のヘアメイクさんが着付はできないということで知人を通じて私が抜擢されたんですが、その仕事ぶりを気に入ってもらい8年間も担当させていただきました。心斎橋のサロンは8年間勤めましたが、実はバブルの崩壊とともに倒産。やむを得ず独立する形で出店したんです。最初は先輩のサロンに間借りをして、倒産前にすでに予約をいただいていたお客さまを接客しながら物件を探しました。改めて別のサロンに入社するにも、ヘアメイクの仕事をさせてくれる環境や概念が当時の美容界にはなかったので出店を決意。また出店後にブライダル部門も立ち上げました。当時、ブライダルのヘアメイクは式場が行うのが通例でしたが、長年私が担当したお客さまがご結婚をされる際に、「人生の一番大事な時に担当の美容師さんが何もできないシステムはおかしい」とおっしゃったのを「なるほど」と思い心斎橋のサロンで確立。それを、独立後にも導入したんです。
苦労して確立したシステムを自分のサロンに移行した
独立して苦心したのはやはり物件探しでした。私はトータルビューティーを目指して大人の雰囲気のサロンにしたかったので東心斎橋にこだわりを持っており、物件探しに7カ月もかかりました。実際に独立して感じたのは、勤めている時の方が大変だったなということです。私はそれまで、ブライダルメニューや予約制の確立、さらには制服を廃止して私服でサロンワークをするなどいろんな面で改善を提案し実現してきました。そのためにオーナーと意見が対立することもあり苦労もしましたが、独立して今までのシステムを移行させたので、新しく立ち上げる苦しさはなかったです。最初のお店は13坪くらいでセット面は4面、シャンプーブースは2台。スタッフは4名でスタートし、徐々に増えて最終的には8名に。オープン当初からフル稼働で忙しかったですね。
スペシャリストという対等の立場で仕事をする
スタッフ教育は、当時はマニュアルがなく感覚的に指導する時代でした。私は時間があれば一緒に食事に行き、文字通り寝食を共にしてコミュニケーションを図りました。私は独立してからサロンワークを中心に、今でもヘアメイクの仕事をさせていただいています。最も印象に残っているのは、2年半前にさせていただいたスペクタルミュージカル『十戒』です。公演は、大阪城ホールと代々木体育館。フランス人スタッフが総勢150名で、そのヘアメイクをshowerで担当させていただきました。感動したのは、主役だけでなくキャストやスタッフ全員がプロ意識を持ち、互いにその立場を尊重しながら仕事をしていたということです。主役を頂点にしたピラミッド型の図式ではなく、みんなが各分野のスペシャリストだという対等の環境の中で仕事ができました。主役も順番に並んでヘアメイクを受けるなんて日本では考えられないことで、大きな刺激を受けました。それと同時にプロ意識もより一層強くなりました。
自分がやりたいことがあれば口に出して言うことが大切
今年は映画『火天の城』でワンシーンを担当させていただきました。設定は南蛮文化が盛んな安土桃山時代。セピア色の町並みに華やかで色気のあるシーンがほしいと監督に言われて、ヘアメイクだけでなく7人のモデルのキャスティングや髪飾りのアイデアを提案しました。身長が高いモデルを起用し異国ムードを漂わせてほしいとの意向でしたので、私は中国の明時代の風俗をモチーフにしました。それが、安土城が完成したお披露目の時に、明の女性が外交で来日して街中を練り歩くシーンです。歴史に基づいた設定を把握しながら、それをどのように解釈して作るかに重きを置きました。私はサロンでも仕事をしながらヘアメイクとして活動しています。この映画の制作関係者の方もお客さまで、今まで頑張って築き上げた人間関係やネットワークを基に、新たなる扉、チャンスが巡って来て、そこから仕事の幅が広がっていると感じます。私の原点である「お客様への接客ポリシー」を貫いてきたからこそ、そしてその方たちとのサポートがあったからこそ、今の人間関係を築き上げてこれたと思います。だから、大切なのは、自分のやりたいことがあれば口に出してアピールすること。さらに、紹介された人には必ず会いにいくこと。自分から積極的に働きかけるその勇気と行動力が相手の記憶に残り、それが自然と人脈につながると思います。
受け身にならず自分から発信できるデザイナーを目指して
今年の10月に、showerを新しく移転オープンしました。コンセプトは『都会のオアシス』です。その中で核となっているのが健康美とデザイン。健康美では、ヘッドスパやフェイシャル、ボディマッサージなどを展開しています。これらは決して付加価値ではなく、本格的なメニューの提案です。さらに、店内のインテリアは北欧スタイルを取り入れて家具にもこだわりました。美容師は忙しくて美術館などで本物を見る機会が少ない。ではサロンの中にいいものを揃えようとスカンジナビアから取り寄せ、さらに風水を取り入れて内装にもこだわり、ゆったりとくつろげる空間を心がけました。今後は美容師向けのスクールを展開したいと考えています。従来の技術セミナーだけではなく、デッサンをしたり流行の研究をしたりして美容師の幅を広げる勉強をしたいですね。最後に、今後理美容業界を担う若い人には、受け身にならず自分から発信できるデザイナーを目指して頑張ってほしいと思います。海外でセミナーを行うと、どん欲な人が多くてすごい熱意を感じます。そんな熱意を失うことなく、美容をもっともっと好きになる努力も怠らず、もっと自分をアピールしていけるように頑張って下さい。
山田磨由美(ヤマダマユミ)
shower 代表取締役。山口県出身。高津理容美容専門学校(夜間課程)卒業。大阪市内で2店舗を経て、1993年7月にshowerをオープン。現在、サロンワークを中心に、映画、舞台、TV、ヘアショー、雑誌等のヘアメイクや国内外での各種セミナーの講師としても活動中。また、タレントの専属ヘアメイクも経験するなど、活動の場を業界内外で展開。1991年から3年間、全アジア・ヘアーメイク大会で日本代表に選出され、 2002年にはセバスチャン・オブ・イヤー2002にて世界チャンピオンに輝く。2009年10月に、白と赤を基調にした北欧風のサロンを移転オープン。美容業を中心に、ネイル、エステティック、ブライダル等、トータルビューティを提案している。
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