ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2009.3.5
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憧れの東京に行くため美容師の道を選択した
母が美容師をしているので、その影響を受けて美容師になりました。実は、子供の頃は美容師になるつもりはまったくなかったんです。店舗と住居が一緒で、朝起きた瞬間からパーマ液の独特なニオイがして、嫌でしたね。また、母の忙しそうな仕事ぶりを見ていたり、サービス業ということで休日に休みが取れなかったりと、子供心に反発していた記憶があります。ただ、東京に対する憧れはかなり強いものがありました。だから、美容師になるというより上京する手段として美容の道を選択した感じですね。学生時代は、ラジオを聞いたりして音楽に興味を持っていましたが、確かな将来の夢があったわけではなかったんです。だから、東京に行けば何かあるんじゃないか、何かを見つけられるんじゃないかという淡い希望を密かに抱いていました。美容学校は、母が取引きをしていたディーラーさんにお世話になり、当時新設だった東京美容専門学校に入学しました。母からの条件で寮があること、そして新設という自由な雰囲気が気に入って入学を決めました。
東京という都会的な環境で刺激的な毎日を過ごす
実は直接話はしていませんが、母は私が将来的に実家に戻ってお店を継いでくれると思っていたはずです。だから、上京を認めてくれたんだと思います。でも、私自身、ずっと美容師を続けることに不安があったし、別の道に進むことも想定していました。とにかく、東京に行きたいの一心でした。美容学校に入学すると、いろんな年齢層の方がいたので驚きましたね。アルバイトもしていましたが、美容室ではなく居酒屋(笑)。でも、いろんな人と知り合えたり、ホールを仕切ったりするのが得意になり、今でもそれが役に立っています(笑)。それと、寮が新宿の文化服装学院の裏にあり、七色のヘアカラーで染めたモヒカンの人が歩いていたりと、私にとって毎日が刺激的でした。大好きな音楽を楽しむため、夜はディスコに通ったりもしましたよ。そんな遊びに熱中していた頃、インターンのサロンを探すために、友達と青山や原宿界隈を歩いていました。そこで、気に入ったサロンを見つけたんです。
2人ブローというシステムに戸惑った新人時代
偶然、お店にオーナーさんがいて、「遊んでないで、取りあえずアルバイトに来なさい」と、早い段階でサロンを見つけることができました。そこはミュージシャンが多数来店していたり、かなり個性的な美容室でした。例えば、ライブがあればサクラで踊らされるなどかなりユニークでした(笑)。その頃、私はまだ一流の美容師になろうという本気モードにはなっていなかったんです。先輩たちも美容師らしくなく、かなり自由な感覚で仕事をしていましたから、変わったサロンだなと思っていました(笑)。そのサロンには3年間勤めました。もっと技術的に向上したいなと考えていましたが、実はそのサロンには技術マニュアルがなかったんです。それと、2人ブローといって、1人はブラシを持ってもう1人はドライヤーを持ってブローをしていました。当時はロングのサーファーカットが全盛で、髪を流すスタイリングが流行っていたんです。ヘアを作り込むためにそのようなシステムになったと思うんですが、これでは1人で仕事ができないなと思い、徐々に転職を考え始めました。
フェイズのオープニングスタッフとして誘われる
最初に勤めていたサロンは個性的な先輩がたくさんいたんですが、その先輩たちが一気に退職した時期があったんです。そこで、私はまだ技術が伴っていないのに、お客様を引き継ぐことになりました。納得いかないまま中途半端な状態で技術者になり、自分に対して自信がない状態でした。だから、ごまかしながらの接客。それがたまらなく嫌で、お客様に対しても、とても申し訳ない気持ちでした。ちょうどその頃、横手康浩さんがズッソからフェイズを立ち上げるというお話を聞いて、オープニングスタッフとして参加しないかというお誘いをいただいたんです。私はもっと技術的にいろんなことをマスターしたかったので、そこで転職を決意しました。美容師として働くには、やはりきちんとした技術を修得しないと自分自身がつらいなと考え始め、真剣に頑張ろうと思いました。でも、まだまだ一人前の技術者ではなかったので、横手さんも最初は悩んだと思いますよ(笑)。
『なるほど!ザ・ワールド』ロケ班のヘアメイクを担当
フェイズに入社してサロンワークをしながら、実は休日にTVドラマやファッションショーなどのヘアメイクの仕事をいただくようになったんです。一番の思い出はクイズ番組の『なるほど!ザ・ワールド』で、問題を作るロケ班として同行したことですね。当時は若かったのでできた仕事ですが、大変刺激的でいい勉強になりました。ただ、海外ロケの場合、1ヶ月に2週間くらいサロンを留守にすることがあったので、それを穴埋めするために後の2週間で予約を一杯にしていました。ある時は、北半球一周で5日間という強行ロケもありました(笑)。モードやファッションとは関係ない仕事でしたが、未開の土地に行くことが本当に楽しかったです。実は、MUGIという名前は子供の頃からのあだ名なんですが、珍しいことからすぐに覚えて頂き、役に立ちましたね。また、「MUGIならどこへ行っても、何を食べさせても大丈夫だろう」とスタッフに思われていたみたいで、さらに他の仕事も紹介してもらえるようになりました。
交通事故に遭い休業中に心の変化が現れた
実は、フェイズに入社して2年目くらいの頃ですが、サロンワークでもご紹介のお客様が徐々に増えはじめ、仕事が楽しくなってきた時期に交通事故に遭ったんです。右足の複雑骨折で3ヶ月半入院して、半年間は仕事ができませんでした。その時に、待ってくれているお客様のことやサロンのことが大変気がかりになりかなり悩みました。両親はサロンに迷惑がかかるから、実家に連れて帰ると迎えにきたんですが、横手さんが「伸び始めているその芽を積むことはない。みんなでフォローするから待ってほしい」と言ってくださったんです。横手さんは私を見放さなかった、むしろチャンスをくれたと思い、その時に本気で美容師を頑張ろうと決意しました。他に向いている仕事はないだろうと、真剣に頑張りました。今考えると、美容師になって以来、一人前の美容師になろうと先輩・後輩構わず頭を下げて技術を教えてもらい、レッスンにも積極的に取り組みました。人間って、一念発起すればいつでも一生懸命になれるんだなとその時思いましたね。
結婚を機に夫婦でサロンを持とうと独立を決意
フェイズには8年間お世話になりましたが、当時は独立して東京で自分のお店を持つなんて考えてもみませんでした。どう考えても立地条件や資金的な面で困難だと思っていたからです。かといって、愛媛の実家に戻って母の後を継いでも、お客様が求めているものが今までやってきた仕事内容と異なるだろうし、これも難しいと思っていました。しばらくはフェイズで頑張るつもりでいたそんな時、29才で結婚したんです。相手は同じ美容師で、しかもフェイズのスタッフでした。社内恋愛は御法度でしたが、横手さんに相談すると最終的には後押ししてくれました。彼は将来的に独立することを考えており、横手さんもそれなら早い方がいいと理解してくれたんです。退職して出店したのはそれから1年後。出店で最も苦労したのは、やはり資金面ですね。若い二人にはまったく信用もないし、東京での独立は本当に不安でした。候補地は、今まで勤めていた青山や原宿界隈。今までのお客様のことを考えると、あまり離れた場所にはしたくありませんでした。
RIFF=リフレイン
最初にオープンしたのは原宿。そして2年前にこの場所に移転しました。独立の際、集客面ではかなり心配しましたが、オープン後、経営はすぐに軌道に乗りました。実は、横手さんが、独立に関してお客様にご挨拶することを許可してくれたんです。当然、引き継ぎはしましたが、フェイズを離れることを伝えて、その上でお客様に判断をゆだねようと話し合いました。その結果、ほとんどの方が来店してくださり、本当に恵まれた独立だったと感謝しています。先月と場所だけが変わったような、そんな感覚で仕事が出来ました。最初は、主人とアシスタント3人の合計5人でスタート。サロン作りやマニュアルはオリジナルを心がけましたが、仕事に対する細かいこだわりは、それまでお世話になったフェイズの影響が少なからず出ているかもしれません。でも、私たちの居心地のいい空間作りにはこだわりました。サロン名のRIFFはリフレインの略で、音楽用語で主旋律を引き立たせるために繰り返される楽節のことなんです。つまり、主役はお客様で、ゲストを盛り立てるために私たちが素敵なヘアスタイルを作っていきたいとの思いから名付けました。
お客様とはいつまでも親しい関係でありたい
今でも主人とは同じ役割で、一緒にフロアに立って仕事をしています。同じ美容師でもサロンによってシステムがまったく違いますよね。仕事に対する考え方や流れ、技術的なレベル、デザインの発想や感覚的な部分など、私たちはお互いの仕事を見てきたので、理解し合える部分がたくさんあります。そのお陰で、ぶつかることも無く、非常に楽な状態でここまでやってくることが出来ました。今年で11年目を迎えましたが、スタッフの中には独立して郷里で頑張っている人が3人います。私も同じ道を歩んできたので、自分のお店を持ちたいというスタッフは応援してあげたいですね。私たちには子供がいないんですが、その分、お店やスタッフに愛情を注いでいます。時には親心から、スタッフに余計なことまで言ってしまいますが(笑)。そして、今では、主人と一緒に38才から始めたサーフィンを楽しんでいます。店内に写真を飾っているカメラマンのすすめで始めましたが、お陰でたくさんの人と知り合うことができました。これからの人生を二人で楽しみながら、またお客様とは末永く親しい関係でありたいと考えています。家に帰るような感覚で、また元気が欲しい時に寄りたくなるような、そんな美容師であり、サロンであり続けたいと思っています。
MUGI(ムギ)
RIFF 代表、スタイリスト。愛媛県出身。東京美容専門学校卒業。卒業後、都内のサロンを経てPHASEに入社し、オープニングスタッフとして参加する。その後、 8年間フェイズに勤め、サロンワークを中心にセミナー等の講師を務める。また、TVドラマやヘアショー・雑誌の撮影などのヘアメイクとして活躍。結婚を機に独立し、原宿にRIFFをオープン。夫婦二人三脚で多数のファン層に支持されている。'07年に渋谷に移転。現在、サロンワークを中心に雑誌や広告の撮影等でも活躍中。
※2009年3月5日現在
シリーズ:この人から学ぶ、成功の秘訣「TBMG」
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木村 和彦さん(株式会社 友美) | この人から学ぶ成功の秘訣 TBMG
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